離島での看護師生活(大阪府出身 看護師5年目)
私は結の島ナースとして、奄美大島の北部 笠利病院で勤務しています。 働くまでとなぜ笠利病院を選んだのか、働いてみて実際どうなのかをお話ししたいと思います! 私は関西の看護大学を卒業して、東京の病院で2…
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続きを読む名瀬徳洲会病院での7ヶ月間の勤務を終えました。 応援生活では、離島での医療を学べたと同時に島でたくさんの温かい人と出会うことができ、とても充実した日々を過ごすことができました。 わたしは障害者病棟とい…
続きを読む与論島に来て早くも4ヶ月が過ぎました。 与論では7月と11月に新型コロナウイルスのクラスターが発生して大変な毎日です。 幸か不幸かそのおかげでPCR検査を迅速に行える環境が整いました。発熱や体調不良が…
続きを読む私が結の島ナースに応募した経緯は、3カ月からの短期間で総合病院勤務ができるという条件、そして家具家電付き宿舎があるという雇用条件を知ってでした。 また、他の方々が離島医療への興味や技術の向上を目的に勤…
続きを読む大学病院退職後、結の島ナースの制度を知り、離島医療という本土では経験できない分野に興味をもち参加させていただきました。 いざ紹介された喜界島は、全く聞いたこともない名前。 来る前は不安ばかりでしたが、…
続きを読むいつか島で生活をしてみたい… 学生の頃からの漠然とした憧れが実現して、4ヶ月が経とうとしています。 私は看護師として働きはじめて3年間救急外来で働き、4年目から喜界島へ来ました。 喜界島に来てから初め…
続きを読むはじめまして。私は現在、与論徳洲会病院に勤務しています。 まず自己紹介と結の島ナースに参加する経緯を説明します。 そして仕事について、暮らしや余暇についてを書きたいと思います。 私は高校までは奄美群島…
続きを読む最初の入職は大学病院でしたがマイナー科で全く技術が覚えられず、自分をもっと成長させたいと思い病院を探しました。 元々、私自身が地方の離島と人口が同じ位の小さな街で育ったこともあり、働く中で地方のために…
続きを読む私には幼い頃から発展途上国に貢献するという夢がありました。 夢の実現に向け行動する中、ある人から離島での医療活動があることを聞きました。 限られた物資の中で看護を行うことは、途上国での医療に通じる面が…
続きを読む私は大阪の大学病院で5年間働いていました。 5年目で退職し次のステップに進む予定でしたが、コロナの影響で延期になり、時間が出来ました。 学生の頃離島実習というものがあり、沖永良部島で2週間実習を行いま…
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