奄美大島で初めての離島看護師(大阪府出身 看護師12年目)
私は奈良の看護学校を卒業し、そのまま奈良の病院で4年間勤務していましたが、20代半ばになり、新たな病院・新たな診療科も経験したいと思っていました。 奈良で勤務していた病院を辞めて、好きな旅行をしながら…
続きを読む私は奈良の看護学校を卒業し、そのまま奈良の病院で4年間勤務していましたが、20代半ばになり、新たな病院・新たな診療科も経験したいと思っていました。 奈良で勤務していた病院を辞めて、好きな旅行をしながら…
続きを読む私は今まで都内の二次救急病院の産婦人科で、5年間勤務してきました。 都内で働いているときはとにかく毎日が激務であり、患者さんのために働いているのにいつの間にかそれがしんどくなり、一旦助産師を離れてもい…
続きを読む笠利での生活も5カ月があっという間に過ぎました。 今回は、笠利病院での勤務と笠利での生活をお話ししたいと思います。 笠利病院は患者さんもスタッフも島の方ばかりで、とてもアットホームです。 運動会や奄美…
続きを読む奄美大島の名瀬徳洲会病院で働いており、5カ月が経ちました。 今回奄美大島で働こうと思ったのは、約10年前に派遣看護師で8カ月喜界島徳洲会病院に働かせていただいたことがあり、その時はとても充実した毎日を…
続きを読む2019年3月末に大阪から奄美大島へ引っ越しされ、奄美大島で勤務されている看護師さん。 島での生活、都会の総合病院と島の病院との違いなど、感じたことをご紹介します。 ▼奄美に移住してきて | 瀬戸内徳…
続きを読む私は結の島ナースとして、奄美大島の北部 笠利病院で勤務しています。 働くまでとなぜ笠利病院を選んだのか、働いてみて実際どうなのかをお話ししたいと思います! 私は関西の看護大学を卒業して、東京の病院で2…
続きを読む名瀬徳洲会病院での7ヶ月間の勤務を終えました。 応援生活では、離島での医療を学べたと同時に島でたくさんの温かい人と出会うことができ、とても充実した日々を過ごすことができました。 わたしは障害者病棟とい…
続きを読む私が結の島ナースに応募した経緯は、3カ月からの短期間で総合病院勤務ができるという条件、そして家具家電付き宿舎があるという雇用条件を知ってでした。 また、他の方々が離島医療への興味や技術の向上を目的に勤…
続きを読む最初の入職は大学病院でしたがマイナー科で全く技術が覚えられず、自分をもっと成長させたいと思い病院を探しました。 元々、私自身が地方の離島と人口が同じ位の小さな街で育ったこともあり、働く中で地方のために…
続きを読む私には幼い頃から発展途上国に貢献するという夢がありました。 夢の実現に向け行動する中、ある人から離島での医療活動があることを聞きました。 限られた物資の中で看護を行うことは、途上国での医療に通じる面が…
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